高尾駅町田街道沿いの
だいきち接骨院です。
11月8〜10日は
休診をいただき
海外(韓国)人体解剖研修にいってきました。
何よりも先にこの場を借りて…
韓国だけではなく日本や世界各地で医学発展の為、ご貢献いただいた故人・御遺体とご遺族の方々の、崇高なご意志と精神に心から敬意と尊敬を持って感謝を示したいと思います。
皆様の御志を糧にし御遺徳にお応えできるようこれからも精進する事を決意したことを重ねてお誓い申し上げます。
心安らかなご冥福をお祈り申し上げます。有難うございました。
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主催企業と講師の先生、実習先韓国の大学の先生方ありがとうございました。
皆様により良い医療を提供するには
教本・テキストだけで無く
『実際を知る』事が重要です
解剖研修に参加すると
多くの実際を理解する事ができます。
テキスト・教科書と
実際は違うとよく耳にします
確かに筋肉や靭帯の付着部か違うんです
でも何故違うんだろうかと考えると
いろいろな事が推測されます
医学書解剖書を綴っている人も実際を見ているはずなのにその後もそれを訂正しないのには理由があるのでは?
そう考えると
著者がこれから見るどんな人にも分かりやすくする為
多少の誤差よりも分かりやすさを優先したのではないか
その上で許容範囲内を決めたのではないのか
などなどいろいろ考えさせられます。
こう言うのは商業的な部分もあるかと思いますが
人の優しさだと思っています。
分かり難いよりは、まずは分かりやすい事
治療でも同じで
患者さんに伝える方法は
まずは身体の状態を理解してもらう為には分かり易さが最優先です。
いろいろな比喩を使います。
腰とは扇子で言うと『要』の部分で、『要』とは扇子を一つに繋げている金具のところを示すんですよ。
だから『肉附』に『要』と書く【腰】がダメになるということは、扇子がバラバラになる事と同じですからちゃんと良くしていきましょう
だなんて言うこともあります。
腰がバラバラになることなんてないですが、分かりやすくイメージしやすい事を最優先にします。
他にも古典文献で考えると
古典が小説になり漫画になる
一昔前は小説からスタートしていたが
小説だと文章から想像してイメージを作り出すから各々イメージが変わってくる
だからより分かりやすく最近は漫画から
漫画でイメージして
小説の内容を深く理解できるようになり
古典という実際をより理解する糧とする
漫画が教科書
小説が臨床現場
古典が人体解剖
このような流れなのかな〜っと
先人の先生方の知恵にも深く敬意を表しなければならないなと感じました。
そして一つ一つのものには
見えていない隠れた本質があるのではないかとこれからも注意していきたいです。
以上、感想でした
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